今でも会食でカニとなれば、だれより洋はすばやく、みごとに食べてみせる。
昔とった杵柄だ。カニ食い技のコツも、憶えこまされていた。
「番」という姓も、珍しいのだが。
「うちの先祖は、加賀藩の番所のお役にたったんか、名字いただいたいうがや。」
なんだか、あいまいな由来のようだが、誇らしそうに父親は語ったことがある。
小柄だが、怖い父親だった。
卓上に、ちょっとでもヒジをつこうものなら、やにわに金火箸がふっとんでくる。
たちまち洋の腕に筋跡がついて、紫色に腫れあがる。
「行儀がわるい」と注意するでない。即座に体罰、問答無用の体罰となる。
兄はもちろん、女の子の姉にさえ、手加減なく、厳しかった。
洋は、折檻から身を護る、防衛術のオーラが欲しいと願った。
怖い父親をのり越えて、<父さんより、強くなりたい>と願った。
”強者の力と技”を身につけたい一心から、小学生が自分から、柔道を習いだした。
その一方で”絵ごころ”が芽ばえる。いつからともなく、ひとりでに絵を描いていた。
勉強は嫌いで、うっちゃらかし。が、曲りなりにも中学、高校と進学できた。
洋のクラスでは、成績順位に従って、座席の順番が決まるという仕組み。
みまわせば、クラスのトッ プからビリまで、一目瞭然だった。
期末テストの結果ごとに、成績順位が変われば、机の引越しともなるわけだ。
洋は、下位ランクも平気。
どこ吹く風と、競争心のカケラもなく、高一時代をすごした。
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