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***2***

 昭和十八年、 番洋は金沢で生まれた。
 家業は、魚介卸業をしていた。漁船とトラックが行き交う環境で、育った。
 洋は子どもの時分には、松葉蟹も豊富にとれて、安価であった。
 カニが、おやつ代わりとなる。むしろお菓子より主役である。 トレトレ、ゆでたてが湯気あげて、どさっとでてくる。
「また、カニか。もう食べ飽きた、って」
 うんざり顔で、洋は文句つけたりした。
 近ごろは高価なカニだというのに、バチ当たりな文句だった。

悪餓鬼

 今でも会食でカニとなれば、だれより洋はすばやく、みごとに食べてみせる。 昔とった杵柄だ。カニ食い技のコツも、憶えこまされていた。
 「番」という姓も、珍しいのだが。
 「うちの先祖は、加賀藩の番所のお役にたったんか、名字いただいたいうがや。」
 なんだか、あいまいな由来のようだが、誇らしそうに父親は語ったことがある。
 小柄だが、怖い父親だった。
 卓上に、ちょっとでもヒジをつこうものなら、やにわに金火箸がふっとんでくる。
 たちまち洋の腕に筋跡がついて、紫色に腫れあがる。
 「行儀がわるい」と注意するでない。即座に体罰、問答無用の体罰となる。
 兄はもちろん、女の子の姉にさえ、手加減なく、厳しかった。
 洋は、折檻から身を護る、防衛術のオーラが欲しいと願った。 怖い父親をのり越えて、<父さんより、強くなりたい>と願った。
 ”強者の力と技”を身につけたい一心から、小学生が自分から、柔道を習いだした。
 その一方で”絵ごころ”が芽ばえる。いつからともなく、ひとりでに絵を描いていた。
 勉強は嫌いで、うっちゃらかし。が、曲りなりにも中学、高校と進学できた。
 洋のクラスでは、成績順位に従って、座席の順番が決まるという仕組み。 みまわせば、クラスのトッ プからビリまで、一目瞭然だった。
 期末テストの結果ごとに、成績順位が変われば、机の引越しともなるわけだ。
 洋は、下位ランクも平気。 どこ吹く風と、競争心のカケラもなく、高一時代をすごした。

 高二の年ごろとなって、事情は一変した。洋は恋する想い>に、陥いってしまう。
 キューピーそっくりの、かわいらしい女の子だが成績優秀。なんと、トップの座にある。 洋の席とは、はるか遠くにへだてられた、残酷な現実と映った
 2番の席にいるのが、蒼い顔したキュウリのようなガリ勉タイプの奴。 イヤな奴が、彼女と隣りあわせている。
 <彼女の隣の席に、ぼくも、ぼくも・・・・・>
 せつない願望が、洋の胸にこみあげる。
 <キュウリ野郎、邪魔。追っぱらってやる>
 猛然と、洋はライバル意識をかきたてる。 いやおうなく、成績順位が問題となる。順位が問題となる。
 ここに、はじめて洋は勉学意欲に目ざめて、勉強せにゃいかんと決意した。
コンポジション  まったく克己心のカタマリとなって、はげむ。 恋する女の子の隣席となりたいばっかりにはげむ。
 その結果が、でた。
 ビリから3番目だった者が、正真正銘の3番に、ぽーんと飛んだ。大躍進である。
 みな、アッケにとられた。「カンニングしたがや」と、疑われもした。
 けれど、1番と2番の座は、不動のままである。 やはり2番のキュウリ野郎に、邪魔される。 真ん中を占めた場所塞ぎが、彼女と洋を引き分けてしまう。
 洋は、悔しいったらない。 この上は、キュウリ野郎にとってかわって「2番になってやる」と、次期に賭けた。
 進級をひかえた最終テストで、意想外に2番も越えて、洋は1番となった。 逆にガクッと落ちて、彼女が3番だとは。なんという首尾、皮肉な岐れ目だ。

 高三に進級して、洋は1番の席に着く。
 <トップなんだ。よし。トップ保持して、降りないぞ。 この座は、だれにも渡さん>
 ぼつ然と、意識下にあった、”負けず嫌い”の気が、起ってきた。 「トップの座」を知ったとたんに、その気も躍りでた現象であった。
 「初恋」は、洋自身が気づかなかった”洋の性格”をさまざまに表明させた。 恋情だけにとどまらなかったのだった。
 高卒後の進路は、「警察官になる」と決めていた。 警察官はエリートとして一目おかれる、という気風のある土地柄なのだ。 柔道を習いだした小学生のころから、憧れていた。
 洋は合格して、晴れて警察官となる。
 「ようやった。加賀藩・番もんの証し、たてたな」
 怖い父親が、笑顔で歓んでくれた。
 正義漢と自任して、洋は張りきる。 「世のため、人のため、正義のため」・・・・である。 派出所勤務にはじまる、出発となった。
 警察では、ベテランと新人がコンビを組んで、行動する。 たまたま洋と組んだ先輩は、考え方も行動も過激だった。
 香林坊の派出所詰となると、盛り場のヤクザ出入り、暴力ざたの事件が再々起きるのだ。  「組の奴ら、ブチこんでも、すぐでてくるからな。しょっぴく前に、半殺しの体刑じゃ」
 腕を鳴らして、先輩がいってのける。

悪餓鬼

 警察の組織にのっとった取り調べ方法で科した刑罰は、暴力団などには手ぬるいと。 無法には無法で制裁する正義があっていい。 警察官でありながら、警察にまかせない位置き人。 悪の狩人を、かってでる先輩たちだった。
 新米お巡りに、”刷りこみ”ができる。 いや「洗脳された」、とゆうべきなのか。 とにかく、最初に出会った先輩に、まるごと影響をうけた。 もし、この出会いがなければ、のちの「マル暴の番」もなかっただろうに。
 ヤクザとみれば、容赦なく先輩が暴力をふるう。 歯を折り、腕を折り、足腰たたなくする。 どっちが暴力犯だか、わからないようだ。
 洋も組んで加勢する。位置人の痛怏、制裁の快感を知った。
剣道熱心にけいこする。 昇進試験の、階段を昇ってゆく。
 犯人逮捕の手柄もめざましかった。 県警本部長賞、警察庁長官賞・・・・と賞歴も輝かせてゆく。
 はたちの早婚もした。 有望な警察官として出世をみこまれてたか、”夫婦養子”を懇望されたのだ。 署では、「ミス」で通る、事務職員だった若妻は19歳。 新郎新婦そろって養家入りしたかっこうの縁組であった。
 「北国アマチュア美術展」では『北国賞』 を獲得した。これこそ、応募の最初となるのだが。 アマチュア展なら、アマチュアでしかなかった。
 おなじ石川県生まれの郷土の画家、宮本三郎が個展で帰郷していたとき、 会場で洋はみかけた。すぐさま近づき、「弟子にしてください」と、たのみこんだ。 許してもらえた。
 あとから考えれば、一面識もなく、紹介状すらなくよくぞ、 弟子の許可を・・・と、洋は冷や汗かいて、胸が熱くなる。
 休日、休暇の都合つけば上京して、師宅を訪ずれる。 アトリエで師の制作ぶりを、一心に観ていたのだった。
 いわゆる”マル暴”担当となってから、大義名分のたつ、洋のヤクザ狩りがはじまった。 かつて先輩から踏襲した、仕置き人ぶりを発揮する。 「マル暴の番」だと知れ渡っていた。
 しかし、正義と信念一途に迷いのなかった”警察官人生”の、壁にぶつかった。
 警察内部の矛盾した事情。正義を貫き通せない、巨大な外部圧力も体感することになる。 子どものころから憧れた警察の、楽屋裏のみにくい一面に、毒アタリした。
 ”マル暴”担当の、稔りなく殺伐とした日々に、バランスをとるように絵を描く。

彷徨シリーズ

毛筆で鎮めるように書を習う。だが、夢には仕置きの血をみた。 血まみれの光景をみた。
 洋は「辞職」を決意した。 八年間、まい進してきた警察官を捨てて、明日の知れない画家を目ざそうとする。
 「画家とは、なにごとか」と、猛反対の家庭争議となった。 ついに、養親は籍をぬいた義絶をいう。妻は、離婚を切りだした。
 養親はもとより、妻までが、洋自身より洋の警察官である”資格”と結婚したことが わかった。それなら、それでいい。「義絶も、離婚もけっこう」と、受けてたった。
 26歳の”警部補”の身分を捨て、番洋は退職した。
 退職しても習慣となった、見廻り筋を歩いてしまう。と、酒気ある一団と、でくわした。
 「よう、番か。へっぽこ絵描きになるんか」
 「それがどうした。文句あるか」
 はや掛けあいの、乱闘となった。
 「マル暴の番」も職を脱しては、ただの番だ。 権力の背景もなく、ヤクザもチンピラも、もう恐れ入ることはない。 日ごろ逆ウラミのうっ積が、噴きだした。
 12人を相手に、洋は闘った。闘いに闘う。
 「眼だ。絵描きになれんよう眼ぇ、ぶっ潰せ」
 怒号あげて、巻き返しをはかってきた。卑怯にたくらんだ、報復だった。
 右眼を剔出して「義眼にする」ときいて、 洋はぞーッとした。 異物が入ると考えるだけで、トリ肌だった。 なんとしても、自分の眼球を眼窩にもどして欲しかった。 麻酔をきかせない手術の、激痛に堪えに堪えた。
 左眼の視力も「ダメかな」、といわれた。
 もう全盲の闇にこめられて、絶望に陥いる。強気一点ばりだった男が、弱気にくじけた。
 「風にあたりたい」とつきそい婦のおばさんに、屋上にはこんでもらう 。フェンスの見当もつかない。でもフェンスをのり越えて、とび降りることを想った。
 死にさそわれるように、数日は屋上通いした。
 「退院したら、点字を習うとええわ」
 おばさんが、親切にあっけらかんという。
 洋はつんのめりそうになる。「点字」など、おもいもよらなかった。 それこそ、盲点をつかれた気がした。
 絶望が、バカバカしくなる。暴力団に屈したようで、腹だたしくなってきた。
 <最低の奴らと、命のひき換えができるか。犬死にだろが。死に価いせんことで、死ねん>
 洋は、”死の淵”から、生還できた。
 社会復帰の途を、どうするか。
 盲いて、可能なことは?歌だ、楽器だ。  <ギターつまびいて流し、やるとしようか>
 おもいつくと、さっそくギターを買ってきてもらう。行く末、”流し”する気でかかった。
 そこへ運が、強運がもどってきた。全盲を覚悟して、 気持も職業も転換はかったところで、左眼がよみがえった。 ダメといわれた視力が回復してきたのだ。
 洋はギターを放りだした。すわと絵筆をとりあげる。
 キャンバスに対峠して、でも絵筆の着地がさだまらない。 方向性が、距離感が、うまく測れない。 それが、隻眼のスタートだった・・・。

綺想曲

 洋は、縁あって横浜に居ついた。
 10歳も年上の女流画家との同棲も、定着していた。 離婚歴ある者どうしの結びつき、籍は別々のままに夫婦として通す。仕事上のパートナーでもあった。
 石油ショック前の景気のいい時分、絵描ブームの時流にのった。
 絵画教室が当たった。生徒は千客万来の盛況ぶり。教室もつぎつぎ開設してゆく。 おとな300人。子ども200人の、生徒数をかかえるほどになる。画材屋も開店した。
 みな、仕掛人は洋だった。
 年上女房は、先輩の画家として尊敬する一方で、プロの実績が育つようにも後押しする。
洋のほうが女房役に徹して、マネージャーをつとめていた。

 たまたま東急デパートの前を、通りかかる。 ”額縁”の店頭販売しているのを、みかけた。
 <うちも食いこもうぜ>と、洋は東急本社にのりこんで、交渉する。
 「指定業者が決まっているから」と相手にされない。ガードをつき崩そうと、 5度も通い詰めてねばり、口説く。
 「2倍の売り上げにする。試すだけ試してほしい」と口説き落として、しぶしぶの許可。
 洋は、ただ額縁をならべるのではない。 デキのいい生徒の作品をはめこんで、絵込み額縁を売りだした。 人だかりがして、売れる、売れる。
 「似顔絵を描きます」が、呼びものとなる。 高額の買物客にはオマケ付きで、洋が一手に、似顔絵をひきうけた。行列ができてしまう。
 口約束の2倍どころか、「3倍の売り上げ」となる。 意外な成行きに、東急もゲンキンに「どうぞ、どうぞ」と、定期出店を歓迎しだす。
 これまでの指定業者は、”額縁だけ売る”という商売で成っていたのだ。
 「絵入り、似顔絵つき」で売り上げ3倍増なら、これアイディア。商才の成果だろう。
 マネージャー役をつとめだして、洋は自分でもおもいがけない、商才を発揮していた。 警察官時代には考えられないことだった。
 500人もの絵画授業料、画材商売の利益、画家の佳川紫朝(仮名)と番洋の”売り絵”が売れる。 金が入って、入って、止まらない。
 そこで、洋は趣味の道に入った。骨とうを、買いあさりだした。
 博物館や古美術展にも、足をはこぶ。本物に接して観るうちに、 自分の買った品々に疑惑が起きる。 軸物の谷文晁なんか、怪しい。 <偽者を、つかまされたかな?>
 「落款事典」など買いこんで、調べてみる。 買物の半分は、偽物と確信できた。
 だまされた分、洋は”鑑定眼”をつけようとする。 警察に申請するだけですむ、「古美術商」の許可を得た。
 「市」にでて、偽物を売る。所有するもの気分わるく、すべて売りはらう。 100万で買った品が、5万となるような体たらく。まったく2億ほどの損害こうむった。
 ベテランのセリ人のそばにいて、”セリ術”を見習う。 一瞬のうちに品のよし悪し観てとって、それが値踏みの出発点となるのだ。
 洋はたのんで、洋自身がセリ人にさせてもらう。 売り手の値づもりから、品の価値を測る。買い手のセリ落し方から、品の価値を測る。 本物の売り買いを目のあたりにして、実体験する。 ひとつしかない眼で鑑定眼を養ない、肥やしていった。
 絵も”売り絵”でない、本格的な自分の絵を、洋は描きたいと想いだしていた。

遊女

 しかし、しかし・・・。
 家庭生活の、パートナーとの、ズレが生じはじめる。
 彼女の都合で、あるときは「あたしは女房だから」といい、「あたしは画家だから」といってのける。
 女流画家としての実績をあげだしたのも、洋の後押し、洋の犠牲もあるのだが。
 妹の「実績」を知ってはじめて、彼女の兄も援助しだす。ぽんと金もだす。
 ヨーロッパ個展に1000万は要るとなれば、不動産業の兄には即座に都合がつく。洋のほうは、 調達に1ヶ月はかかる。落差歴然である。
 彼女が夫より兄をたよって、あれこれ相談しだしては、立つ瀬もない。
 15年間つづいた関係も解消して、洋は去ることにした。 横浜や東京など住む気も失せて、関東を脱した・・・。


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