大阪の緑地公園に住み早や十年が過ぎた。
以前に住んでいた東横線の網島とは比較にならないほど自然が美しく、新幹線・空港など交通の便も良く住みごこちがいい。
その間にたくさんの人々との出会いや、出来事などがまるで走馬燈の如く思い出され、生きることの難しさ、厳しさ、複雑さを痛感してきました。
でも反対に最近は、かなり楽天的、しかも余裕綽々なる気持ちの大切さも感じ、そういう眼や感覚で、私の絵を中心とした人生なり世の中なりを見ると、また生きることが楽しく、愉快で面白くもなってきました。
そんなとき、絵の世界に全くの素人が私の周囲には沢山おりまして
「そろそろ日展に入選ぐらいせんとダメや!」
「美術年鑑や美術名典に値段や絵の写真がのるぐらいにならないと
・・・ね!」
なんて、考えられないまるで馬鹿げた助言(?)などが大変煩わしくもなり、
そういう人達を得心させるために展覧会出品を決意しました。
どうせ展覧会に出すのなら日本の日展より権威や歴史のある
「フランス国際美術大賞展」にしても、まあ入選ぐらいはするだろう
という気持でした。
大作の百号・二百号出品をと思いましたが、パリーまでの搬入、
搬出、保険等が非常に高くなり、やむなく五十号「追憶」を
選びました。
そのうち入選と同時にグランプリ賞候補ノミネートに
されている旨の連絡があり、その後受賞通知が正式に届いた。
助言(?)して下さった周囲の人々の喜びようは大変なもので、盛大な
「受賞記念パーティ」まで企画して頂く羽目になり、単純な気持で
展覧会に作品出品したことが結果的に沢山の友人、知人までも
巻き込み、ご迷惑を掛け大袈裟なことになってしまいました。
しかし、私にとって絵を描くことは、あくまでも自分独自の対話の
世界であり、意志や感情を色や線で空間構成し、そのバランスの
中にポエジーやドラマを醸成する自己発掘作業であり、生のアカシ
なのです。私独自の個人プレーであり、生涯を通して静かに、他に
迷惑を掛けず、おごることなく、継続することだと信じています。
数年前から画集出版と同時に大作をそろえた大阪展、東京展を
計画し、制作に没頭してきました。
それは自分に対する挑戦でもありますが、没頭すればするほど
本当に沈んでしまい悶々と籠りがちになります。
絵を描くという作業は、生きることと同じく自分自身の内面との
戦いです。悲壮感も強くなり、暗くもなり、また才能のなさをまざまざと
思い知らされ、まさに葛藤の日々ですが、
持ちまえの楽天的な部分でかなりすくわれているかも・・・。
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